会長の時間

【2012-2013】

第2318回 例会

日時:2013/01/23

場所:ホテル白菊

会長:田中 俊一


今日は熊野胎蔵寺住職柴崎順正さんをお迎えして卓話をお願いしています。私は国東半島の付け根の真ん中の山香町立石というところで育ちました。ちなみに生まれたのはその中でも金山というところです。その名の通り立石には大正時代には日本でも有数の馬上金山がありました。日出町の的山荘は馬上金山で大儲けをした成清さんが大正四年に別邸として建てたものです。今日は折角だから国東の仏教文化について少し話をしてみたいと思います。六郷満山という言葉を聞いたことがあると思いますけど六郷満山とは国東半島一帯の寺院群の総称であります。古くから国東半島にあった山岳信仰が宇佐神宮を中心とする

八幡信仰などと融合した結果、神仏習合の独特の山岳仏教文化が形成されたといわれております。今日でも33の寺院と宇佐神宮を加えて国東六郷満山霊場といわれています。今日お見えになっている胎蔵寺はその中で5番札所になっています。胎蔵寺は聞いたことがなくても熊野磨崖仏はよく知っていると思います。国東半島の写真には必ず一番先に出てきます。不動明王、と大日如来が二つ並んだ磨崖仏です。そこに行くには鬼が一晩で築いたといわれる99段の石段があります。そのちょっと苦しい階段を上らずに左に曲がると胎蔵寺があります。私が胎蔵寺に最初に行ったのは中学3年の時です。もう50年近くも昔の話になります。山香の私の家から南東の方向に鋸山という岩山があります。冬になって雪が積もったりすると、その山がまるでアルプスのように見えました。いつかはその山に登りたいとずっと憧れていました。そして中学3年の時友達とその山に登ろうということになりました。ところが遠いし道もわからなかったので、近くに住んでいる同級生の女の子に案内をお願いしました。今考えれば男女4人ではあるけど初デートだったかもしれません。自宅からその胎蔵寺に行くだけでも大変でしたおそらく10キロくらいはあったと思います

そして山に登る前、胎蔵寺にお参りをしました。そして4人で記帳をしました。もしまだ保管してくれてるものならば見てみたい気もします。そして鬼が一晩で作った石段を上りついたところに熊野磨崖仏があります。今ではもう入ることができない石仏の裏側の胎内くぐりも経験しました。そしてさらに上に登っていくと鋸山があります。標高は高くないけど、両側が切り立った岩の上を歩いたりするちょっとスリルのある山です。おそらく10回は登っていると思います。体重が80キロを超えた今はもう上ることはできません。

今では国東半島の有名な寺院は拝観料をとるところが多いいですけど。当時はすべて無料でした。あの国宝の富貴寺でさえ、土足で中に入って拝観しました。そうすると住職も土足で出てきて、この寺は1本のカヤの木で作ったんだというようなことを説明してくれました。こちらが迷惑になるくらい長く説明された記憶があります。しかも堂内は子供の落書きだらけでした。平泉の中尊寺金色堂、宇治の平等院鳳凰堂と並ぶ日本の3大阿弥陀堂とは思いもよらないことでした。近くの子供たちにとっては雨が降ったときのちょうどいい遊び場位の気持ちだったかもしれません.

 10年に一度峰入りという行事があります。宇佐の御許山、宇佐神宮で神事を行った後、実質熊野磨崖仏、胎蔵寺から始まります。6日間かけて両子山まで行をします。一般人も参加できますので是非次回は参加されてはいかがでしょうか。といっても次回は平成32年です。なお柴崎住職も峰入りに参加したそうです。今日はどういう話になるかちょっと楽しみです。何しろ国東のきみまろといわれている人だそうですから。今日はちょっと懐かしい国東半島について話をしてみました。

  

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