会長の時間
【2010-2011】
第2239回 例会
日時:2011/05/29
場所:日田市 咸宜園
会長:芦刈 直
日田市の広瀬淡窓の威宜園で別府北RCの例会をするので、大分県の歴史を調べてみました。
本屋さんに行って歴史関係の本を見ていましたら丁度「大分の歴史」という題で2004年11月30日発行の豊田寛三氏、後藤宗俊氏、飯沼賢二氏、末広利人氏の4人の共著で、全員が別府大学文学部
の教授でありました。
その本の「人材の輩出と文化興隆」の中で、「豊後の三賢」の登場、近世の人物である、三浦梅園・帆足万里・広瀬淡窓であった。
「威宜園に集う人びと」の中で、広瀬淡窓は天明2年(1782年)幕府領日田郡豆田町で掛屋を営む商家(博多屋)に生まれた。
文化2年〔1805年〕淡窓は、長福寺学館を借りて弟子二人と共同生活を始めた。
その後に塾名を「成章舎」、次に「桂林園」と改め文化14年に再度改めて「威宜園」と名づけられた。
淡窓は、36歳以降この地で教育活動に没頭し生涯を終えるのである。
入塾希望者は身分に関わらずいつでも入門でき、「三奪」といって年齢・学識・身分の差がすべて奪われ誰もが平等にあつかわれた。
淡窓の教育方針は、個性を大切にし、学ぶ者の意思を尊重するきわめて合理的なものであった。
淡窓在世中の入門者は、全国から3,081人であったという。
この威宜園からは、大村益次郎や清浦至吾など後に活躍する人材を輩出した。
江戸後期の私塾として、これほど多くの塾生を持ち、かつ長期にわたって教育活動を続けた例は他にないといわれています。
こういう土壌があるから日田の人々によって歴史が生まれ文化が育っていったのでしょう。
これで会長の時間を終わります。