寛容な心で、ロータリーの未来、そして若者の未来を考えよう
入りて学び、出でて学び、ロータリーを伝え繋いで行こう
木村、宮本、鬼束
宮根、首藤(地区研修・協議会)
芦刈(ふれあいの森)
齋藤(湯布院)
〇浦松会員 本日は私の拙い卓話を聞いて頂きありがとうございます。御礼にニコボックスを提唱します。 2口
〇お祝い
会員誕生日 戸田会員 3口
結婚記念日 神宮司会員、後藤(憲)会員、後藤(明)会員 各3口
皆 勤 芦刈会員 3口
会長の時間です。
まずもって先月25日~27日に熊本で開催されました、国際ロータリー第2720地区2024-2025年度地区大会へ多くの会員の皆様にご参加及びご登録頂き誠にありがとうございました。25日親睦ゴルフ大会から参加された方々、26日本大会前日より熊本入りされた方々、又、本会議当日参加された方、そして本大会に出席され次の日の27日のエクスカーションへも参加頂いた方々、色々な形で地区大会へご参加頂き楽しんで頂けましたでしょうか。お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
私は25日のガバナー補佐・会長・幹事会議、そして地区指導者育成セミナー、希望交流会からの参加でした。地区指導者セミナーでは、ロータリーポリオ根絶アンバサダーの尾身茂氏による演題「ポリオ根絶~ロータリーへの感謝と期待」では、感染症と人類の歴史に始まり、ポリオ根絶に向けての3戦略、ロータリーとポリオについて等、私の知らなかった話も多く、大変興味深い話ばかりでした。
今日は合同事務局引越しの日で今週は事務局も片付け等で忙しいかと思いますので会長の時間は短めで終わらせて頂きます。
皆さんこんにちは、 今回大附会長から卓話を仰せつかりました浦松傅でございます。
職業分類は総合建設業でロータリー歴は35年6か月です。私は2回退会して3回入会しております。
昭和55年1月に最初入会しました。加藤知孝会長、西田功幹事年度でした。私が32歳の時でした。
その時中村光先輩や野口雄一郎会員 (逝去) がおられました。それから8年5か月在籍いたしましたが、当時、出席は100%出席でしたメーキヤップは前後1週間でした。(今は前後2週間で100%出席にはこだわりません) 連続100%を継続中でした。出張の時も福岡、東京とかメーキヤップをしておりました。
ある時急用が入りメーキヤップを失念し欠席してしまいました。100%連続が途切れてしまい非常に責任を感じました。それで年度末で退会し、8年後の岸野、神年度に朝見神社の神宮司から誘われて再入会いたしました。49歳でした。その後56歳の時、社内の都合で退会し、2年後、神会長、三笠幹事年度の40周年に復帰し、現在に至っています。その後会長を経験させていただき、多くの人との出会いや、いい体験をさせていただきました。ロータリークラブの仲問の皆さんの友情に支えられて今曰まで会員として続けられていることに心から感謝をしております。
前置きが長くなりましたが今日は 「小さな親切」 についてお話をさせていただきたいと思います。
現在私は 「小さな親切」 運勤大分県本部の小・中学生の作文コンクールの審査委員長のお役をいただいています。小さな親切運勤の始まりは1963年(昭和38年)3月の東京大学の卒業式で当時の茅誠司総長が卒業生向けに言葉を送りました。
「小さな親切を、勇気をもってやっていただきたい。そしてそれが、やがては日本の社会の隅々まで埋め尽くすであろう親切という雪崩の芽としていただきたい。大学で学んだ様々な知識や教養を、ただ頭の中に百科事典のように蓄えて置くだけでは、立派な社会人とはなれません。その教養を社会人としての生活の中に生かして行くに、やろうとすれば誰でもできる。小さな親切を絶えず行って行くことが大切です。」
この挨拶から3ヵ月後に賛同する人々でスタートしたそうです 。
大分県本部も昭和41年に中島高之助会長のもと第一回大分県大会を開き、野尻哲会長、安藤昭三会長、中道俊哉会長、現在の衛藤晟一会長と継続して展開しています 。
作文コンクールは毎年県内の小、中学生に応募していただき、昨年も600余通の中から小学生6通、 中学生6通を県知事賞から優秀賞まで選考し、全国大会に提出いたしました。
小学生も中学生も素晴らしい作文を見せてくれます。
心に思いながら行動に移せなかった時の反省や勇気を出して行動したことで喜ばれたことのすがすがしさなど、どれも胸を打ちます。お年寄りや妊婦さんに席を譲ることで感謝されるという経験が人を元気にすることにつながっています。家庭でのお母さんの行動が子供さんに大きな感動や影響があることがよくわかり、家庭教育の大切さも心に響きます。
コロナの時は各学校に表彰状を届けていましたが、今年は一堂に介して表彰することができるかと楽しみにしています。また今年も学校行事のご多忙の中ですが、たくさんのご応募をお待ちしているところです。今回優秀賞に選ばれた小学1年生の作品をご紹介して講話を終わらさせていただきます。
優秀賞
なぜできるのママ
大分県 山香小学校 1年 西 梨花
わたしはさがしものをしていました。 いくらさがしてもみつかりません。でも、ママがみつけるとすぐにみつかり、なぜなのだろうとおもいました。 たいちょうがわるいときは、してほしいことをいわなくてもきづいてしてくれて、とてもかんしゃしています。
そんなママは、わたしいがいの人にもとてもしんせつです。 あかちゃんをだいているおかあさんが、おもたそうに、にもつをもっていました。 わたしはきづいていたのに、こえをかけてあげられませんでした。 でも、ママはじぶんからこえをかけてあげていて、かっこよかったです。
ほかにもスーパーでさがしものをしている人に、「どこにありますよ」とこえをかけてあげていました。 それをみてわたしは、まねをしようとおもいました。
するとべつの日に、男の子がおかしがどこにあるのかわからず、こまっていました。 わたしは、ゆうきを出しておしえてあげることができました。 とてもうれしかったです。人だすけをするじしんがつきました。
べつの日、きんじょの人がみぞにおちていて、わたしときょうだいできょうりょくして、たすけだしてあげました。 その人は、「ありがとうございます。たすかりました。」といってくれました。 わたしは「だいじょうぶなのか」とこえをかけました。 そうしたら、「だいじょうぶよ。」とへんじをされたので、わたしたちはいえにかえり、ママにあったことをはなしました。
するとママは、「ほんとうにそのだいじょうぶは、だいじょうぶなのかな?」といいました。 わたしはどういういみなのかわからず、ママにききました。
すると、「大人は子どもにしんぱいをかけたくなくて、だいじょうぶではなくても、だいじょうぶとへんじをすることがあるからね。」といいました。 それをきいて、そういえば足をひきずっていたし、きつそうだったとおもい、ママにつたえました。 それをきいて、ママはようすをみにいきました。
その人はきつくてうごけないじょうたいで、いえの中にいました。 だいじょうぶじゃないときづいたママは、すごくたよりになるとおもいました。
ママのまわりには、いい人ややさしい人があつまってきます。 そして、こころがあたたかくなって、うれしくてしあわせになります。
だからこれからも、こまっている人をみつけたら、どんどんたすけていきたいです。 そしてわたしも、しんせつがあたりまえのように、いっぱいできる人になりたいとおもいます。