●例会日:毎月2回以上 水曜日12:30~ ●例会会場:ホテル白菊 ●事務局:別府市西野口1番1号 青山通りビル3F
●TEL:0977-23-9000 ●FAX:0977-23-9019 ●E-mail:info@beppu4rc.jp
会長:渡辺 純一 | 副会長:大附 嘉孝 | 幹事:下郡 隆 | 副幹事:山名 賢明
2023-2024 Rotary International Theme
CREATE HOPE
in the WORD
世界に希望を生み出そう
国際ロータリー第2720地区 2023-2024年度ガバナー
膳所 和彦

ロータリーは学び舎であり、また遊び場である
ロータリーアクションは世界を変える

別府北ロータリークラブスローガン

居心地のよいロータリーをつくりましょう

第2720地区第3グループガバナー補佐
別府東ロータリークラブ 檀上 陽一

第2743回例会

2024/05/15|点鐘:12:30|ホテル別府パストラル
欠席者

藤本、岩瀬、近藤、木村、松田、鬼束、首藤、鈴木、渡邉

メイクアップ
(事 前)

芦刈、萩尾、中島(以上別府東)

齋藤(湯布院)

(事 後)

鈴木(別府東)

ゲスト
ビジター

本日の出席

会員総数 36
出席数 21
欠席数 13(内事前メイクアップ)4名
出席率 61.76
100%連続回 0
100%通算 2576
理事会承認 0
出席免除 3
ゲスト 0
ビジター 0

前々回の訂正

出席率 61.76
事後メイクアップ 1
理事会承認 0
修正出席率 87.88
出席免除 3

ニコボックス

岡田会員 5月20日で64才になります。最近は医師会の仕事のため、ロータリーの活動になかなか参加できず皆様の足を引っ張っておりますが、今後もできる限りロータリー活動に参加して皆様と楽しいロータリーライフを送って行きたいと思いますのでよろしくお願いします。3口

〇お祝い

結婚記念日 会員、木村会員 各3口

会長の時間

今日は久しぶりに車の話です。
日本F1グランプリが鈴鹿サーキットで開催されたことで、ふとサーキットの話をしたくなりました。
鈴鹿は走行したことは無いので、富士スピードウェイの話です。
当時6キロコースとショートコースの4.3kmがあり6kmコースではメインストレートの終わりに30°バンクがありました。
50年以上前のことですが今でもストレートからそこに入っていく光景を覚えています。
180kmぐらいの速度で行くと急に下がってバンクに入るのですが、初めての時は道がなくなって空を飛ぶんじゃないかと思ったくらいでした。
コース幅は相当に広いのですがレコードラインは一車線しかないと言われていたのでそこを走行していると30°バンクというのは相当きつく、右カーブなのにハンドルは左に切らないと落ちてしまいます。


当時日本グランプリ、トヨタ、日産、ポルシェ組がしのぎを削る接戦を繰り返している時期です。
30度バンクで73年、74年死亡事故により危険と判断され永久に使用されることがなく封鎖され、ショートコースとして4.3kmになり、今はいろいろ手を加えながら使用されています。


 


卓 話

新会員卓話

下郡 拓平 会員

本日は、新会員卓話ということで、入会して10カ月ほど経ちましたが、あらためまして私の自己紹介という形で卓話をさせていただきます。
よろしくお願いいたします。


さっそくですが私の生年月日は、昭和49年3月2日生まれ、先日の誕生日で50歳を迎えました。
厄年のあたりで2度大きな怪我を負い整形外科手術を経験しておりますが、特に大病を患ったということはありません。
しかしながら、昨年の近隣ロータリーソフトボール大会ではまさに当日ピンポイントで体調を崩して不参加となり、大変残念な思いをしました。
今年の大会ではこういうことがないよう体調管理を徹底していこうと思っております。
そのため最近では時間があれば妻とウォーキングをしたり、先日より始まりました早朝練習などで一から身体を鍛えようという今日この頃です。


このような形で自分自身についてお話しするのは初めてになります。ほぼ野球やソフトボールに関わる話になりますのでご了承ください。
先日50歳になりましたが、その大半を野球・ソフトボールに携わってきました。
現在も野球チーム、壮年ソフトボールチームや町内ソフトボールチームに所属し大会に出場しています。
また一方で、別府市ソフトボール協会に所属しておりまして、大会運営の手伝いや審判をさせていただいております。
余談ですが私の妻が協会事務局長を担っております。


私が野球を始めたのは、小学3年生になってすぐ最初の日曜日になります。
甲子園に出場するなどの野球経歴を持つ父の影響…ではなく半ば無理矢理に少年野球チームに入れられたのを憶えております。
その日は父に連れられ学校のグラウンドへ行きました。
そこには何人かの新入部希望の子たちがおり、みんな走ったり打ったり投げたりをさせてもらいますが、明らかに私が一番へたくそで初日から心が折れてしまい、上手くできない恥ずかしさもあり、正直言いますと「野球部には入りたくない」と強く思った一日でした。


私はそれまで運動が得意でない部類に入る子どもで、運動会やマラソン大会などはいつも最下位を争っておりました。
自分自身も運動やスポーツに対して特に意欲があるわけでもなく、かといって勉強も好きではない子供だったのですが、両親に訊けば、嫌々ながらも練習にはほぼ休まず行っていたそうです。
すると入部して半年ほど経ったその年の運動会の徒競走で「一位」になってしまいます。
気づかないうちに運動能力や体力が上がっていた私は気を良くし、野球が楽しくなり、冬のマラソン大会でも上位に入ったりしてどんどん自信が付き、運動に関してはやる気・意欲を出すようになりました。
この「3年生時の徒競走一位」がどんな小学校時代の思い出よりも一番色濃く残っており、今まで野球を続けてこれた一番の原動力だと思っております。
小学校高学年になると、父が野球部監督となり、今ではヤフーニュースなどに出てきてもおかしくない厳しい指導、時には鉄拳制裁を受けたりもしましたが、そのおかげで中学の野球部の練習ではユルイなぁ…と感じながら野球をしていたのを憶えています。


高校進学においては、中学3年時に当時の羽室台高校が甲子園に出場したこともあって、そこへ進学しようと考えておりましたところ、進路変更届期間の土壇場で父より「大商へ行かないか」との進言で一転「大分商業高校」を受験し入学します。
そこで私は毎日ゴキブリやネズミに出くわすような寮棟で生活をさせていただきました。そのような中、厳しい練習、先輩後輩の上下関係、洗濯などは自分でしなければいけないうえ、先輩たちの分まで洗濯しなければならないなど、1年生時は過酷な一年を過ごしました。今でも同級生で集まったときはその時の話で盛り上がります。
入部した当初は、みんなのレベルの高さに怯んだときもありましたが、3年生が引退後の1年秋にはレギュラーになり、2年の時には九州大会出場ベスト4、夏の甲子園大分県予選では決勝戦まで進み、敗れはしましたが当時久しぶりに大商が甲子園に出るかもしれないということで、決勝戦当日は大観衆の中、異様な雰囲気の中でプレーすることができました。
実は決勝戦はスタメンを外れ、大変悔しい思いもしましたが、それでも当時の私の同級生や後輩の中には、父が高校時の先輩や同級生などの息子たちが数名おり、そのことでテレビのインタビューを受けたりして、甲子園には行けずとも私の野球人生においては一番スポットライトを浴びた瞬間だったと思っております。
ちなみに3年時には3回戦でのちにプロで活躍する国東高校の1年生投手に完敗して、甲子園出場の夢は潰えました。その試合ではエラーを2個も犯してしまい、みんなに泣きながら謝ったことを憶えています。


大学は「熊本商科大学」(在学中に熊本学園大学に改編)へ、その年から始まったスポーツ推薦で入学し、卒業後は、「大分共同海運」という船会社へ就職し、去年の3月まで約25年間勤めました。プライベートではもちろん野球・ソフトボールに明け暮れ、様々なチームを掛け持ちして活動しておりました。その中でも革ボールを使用するソフトボールA級のチームでは、全国大会出場ベスト8という経験もさせていただきました。


ここで妻との出会いを紹介させていただきます。
まず彼女は、高校時代に別大付属高校にてソフトボール部に所属し、インターハイ出場ベスト8に進出した時の1番バッターでセンターを守っておりました。
ご存じの方もおられると思いますが、別府市ではナイターソフトボール大会を年3回開催しております。私も町内のチームに所属して活動しておりました。
先に知り合っていた彼女の姉より「妹がいるけど脚が速くてセンターを守れるよ」ということで、さっそくチームに呼んで一緒にプレーすることになりました。
当時そのチームでは試合があるごとに飲み会をやっていて、当時19歳の彼女ではありましたが、よく連れだしておりまして、そんなに時間も要さないうちに男女の仲になったという次第であります。
その後、私が25歳、妻が21歳の時に結婚し、来月の6月で結婚25周年を迎える予定です。


どういった夫婦かといえば、毎年お互いが結婚記念日を忘れてしまうようなおっちょこちょいな夫婦であり、またあっさりとしたところがある思えば、ときにウジウジと優柔不断なところもある似た者夫婦だなと自己分析しておりますが、妻はどう思っているでしょうか?子育てもある程度落ち着き、妻においてはいろいろな経験を経て芯の強い女性になったなと感じております。


私共夫婦は実はいわゆる「おめでた婚」でして、長女が生まれた後、次女、長男と3人の子どもに恵まれました。
長女は23歳でスポーツは特にやりませんでしたが、スポーツバカ夫婦で誰に似たのか大分大学に入学し、在学中はアルバイトをしながらブラスバンド部で活動し、卒業後市内の病院に就職し事務の仕事に頑張っております。
また22歳の次女は、小~中学と水泳で活躍し、大会で九州各地をついて回って応援したことはよい思い出となりました。
現在見たところは派手目ですが真面目に美容院で働いております。
長男は現在高校2年生で、野球一家の宿命なのか彼も小学1年生から野球を続けており、彼が4年生のときに所属する少年野球チームの監督を私がすることになり、私と同じ運命を彼も背負うこととなりましたが、今のご時世では私が指導を受けた時代と同じような指導はもちろんやっておりません。
中学では別府ボーイズで活動し、現在は別府翔青高校でレギュラー目指して頑張っております。


ここで話は変わりますが、私は前述の会社に25年間勤務しました。長男でありながら、父の経営する会社とは一線を引いて、このままこの会社で頑張っていくのかと40歳を過ぎてからは考えておりましたが、このたび昨年の急な話で父の会社へ転職することになり、50歳を目前にして一から勉強していくことにしました。
まだまだ見習いの立場ではあり未熟者の私ではありますが、こうして別府北ロータリークラブに入会させていただき、例会やソフトボール、ゴルフなど皆様とご一緒させていただいております。
また昨年には憧れの甲子園で野球をさせていただき、マウンドにも登らせていただきましたことは、甲子園を純粋に目指している長男には申し訳ないですが、叶うはずのない夢がかなったと言いますか、皆様のおかげで貴重な体験をさせていただきました。


こうして振り返ると、私は良い仲間に恵まれ、仕事や野球に携わってこられたとあらためて感謝の気持ちでいっぱいです。
少年野球監督時に、子どもたちによく説いていたのは野球の試合は9人で行うスポーツだけどそれ以外にも相手チームがあり、サブメンバーやベンチ外の子たち、家族や指導者、大会や試合を運営する方々…様々な人たちが関わって今試合や練習ができているということへの感謝の気持ちを忘れるなと教えてきたつもりですが、まさに人が生きていくことはそういうことだと実感しております。
もちろんこのロータリークラブにおいてもそうであると思っております。日々感謝を忘れず何かの役に立てるよう精進していきたいと思います。


結びになりますが、とにもかくにも5か月後の10月は万全の状態でソフトボール大会を迎えて、また皆様とおいしいお酒が呑めればと思います!
あらためまして今後とも皆様よろしくお願いいたします。
これで私の卓話を終わらせていただきます。
ご清聴ありがとうございました。


新会員卓話

山本 大弐 会員
新会員卓話 下郡 拓平 会員
新会員卓話 山本 大弐 会員
会員誕生日 岡田 豊和 会員