会長の時間
【2013-2014】
第2366回 例会
日時:2014/02/05
場所:ホテル白菊
会長:高田利徳
箪笥の出現
江戸時代の基礎となり「近代封建制度」で農民の生活意欲も増し、米・野菜・果物はもとより、錦・麻・菜種・櫨・煙草・紅花・桑、などの商品農業が盛んになり、これを都市に出し、またこれを加工して、都市内及び現金を持ち始めた農村に売る、と言うことで商業が活発になっていった。
当然、商品量も急激に増え箱では間に合わなくなり引出は生まれたのだった。
ところが、小型のものでは奈良時代から引出物は作られていた、というのは知らなかったのでは出来なかったのだ、その理由は、板の入手が大変困難な為材木をたくさん使うと大変高価なものになった為である、しかし江戸時代に入り商工業の発展に伴い一般民衆でも家を建てるものも多くなり、需要が拡大し、大量生産が可能になった結果、材木や板が安く簡単に入手できるようになった。
その頃から引出が民衆の物となった。
箪笥は、使う面、作る面、経済的、技術的条件のいずれからも、収納家具の大衆化が目的であった。
一般民衆にも衣類や持ち物が増えてきた頃、狭い場所に効率良く収納でき、出納の容易な収容用具としての必要性があった。
その頃の貴族社会では余分な衣類の収納に困ることはなく、箪笥はまさに民衆の物として根ざしていった。
生活にもゆとりがでてくると、財産分与の考え方が定着し娘の婚礼調度品として箪笥が普及したのだった。
(車箪笥から桐箪笥へ)
「火事と喧嘩は江戸の花」と言われるように江戸の町は、火事が多く消化力の乏しい江戸時代は、大切なものは持って逃げることしか出来なかった。
初期の箪笥は移動性のある箪笥が多く竿通しや捕手あるいは車が附いている。
明歴三(一六五七)年の大火では、大型車長持ちに荷物をつんで逃げあせる人々で道路がふさがれ、そこに火がつき大惨事を起こしている。
この状態を重く見た幕府は、天和三(一六八三)年、三都での車長持ちを禁止してしまった。
そこでそれに変わる移動性のある収納具が求められ、竿通し・捕手の付いた薄板の桐箪笥が発達したのである。
この頃の桐箪笥は桐は軽く持ち出し易いと言う事で庶民の間で普及しており、現在のような保護保存という意味での、用途ではなかった。